一般ゲイ しらうおのなんでもない日々

しらうお どこにでもいる30代 LGBTのG

自分で考えて選ぶ。

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雨降りが続くけど、ふとした瞬間の晴れ間が嬉しい。曇りも雨降りもそれぞれの良さがあるけど、晴れるとやっぱり嬉しい。

雲の隙間に空の青色が少しでも見えるとついじっと見ちゃうよね。見ていると気持ちがスッと晴れて、元気まで出てくるのはなんでなんだろう。

 

withコロナって言うけど、いまいちどうしていいのか分からない。出かけてもいいのか、人に会ってもいいのか、家に閉じこもってた方がいいのか。なんだか突然試されている気がする。

 

国も「みんなに経済活動してもらいたい」と、「感染者増えて医療機関がパンクしたら困る」の2枚板に挟まれて、いまいち舵を取りきれていないように見える。

行政の決め事してる人って大変だよね。今回のことで言えばきっとどちらに舵を切っても叩かれる。だってどっちにしても人の命に関わる。

行政の決め事をするときは、きっとぼくなんかの想像つかない色んな要素が絡まっているんだと思う。そんな多方面への影響を考慮して、ようやく決めた方針も、絶対袋叩きにあうんだろう。

だから、そんな重大な決定をしなければいけない人たちが、せめていい賃金をもらっていて欲しいなと思う。きっと優秀な人も目指しやすくなるんじゃないかな。
ぼくだったらいくら賃金が良くても、責任が重すぎてなりたいとは思えないけど。

  

今の状況が試されているように感じるけど、きっと平時も同じなんだと思う。本当はいつだって自分で考えて自分の行動を決めないといけない。

 

 

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自慢じゃないけど、ぼくは自分の意志で何かを決めるのが苦手だ。

もう少し正確に言うと、自分で決めることはできるけどその時に基準にするのは自分の意志じゃない。
じゃあ、何を基準にして決めてるかって言うと、世間の普通(とぼくが思っていること)だったり、周りの空気だったり、食べログの星の数だったり。空気を読んでそれっぽい答えを選ぶのは得意だと思う。
でも、そこに自分の意志はびっくりするくらい少ない。

今まではそれでいいと思っていた。それっぽい答えは楽だ。いわゆる分かりやすくハズレを引くことも少ないし、周りのみんなも納得しやすい答えだったりする。
それっぽい選択肢を選んで、それっぽい人生でいいやと思っていた。いや、心のどこかでは、いつか自分らしく生きる未来を夢見つつも、その「いつか」まではそれなりの無難な選択をしておけばいいやと思っていた。
だってその方が楽だから。

 

逆に、自分の意志で決めるのは怖い。それっぽい無難な答えから、一歩でも外側に出ようものなら、途端に心細くなる。

誰かに笑われるかもしれない。バカにされるかもしれない。ハズレを引いて損をするかもしれない。間違っていると非難されるかもしれない。誰かに嫌われるかもしれない。

最近になってようやく気が付いたけど、なんてことはない。今まで、それっぽい答えを選んできたのは、自分の意志を出すのが怖かったからだ。ぼくは分かりやすくビビってただけだ。

 

 

 

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でも、たぶんもっと怖いことがある。

このままそれっぽく生きていたら、死ぬ前にきっと後悔する。自分の意志で選んでいかないと、たぶん自分の人生を生きられない。

 

 自分以外の何かが決定的な判断基準になってしまった人生は、誰の人生だろう。

常識だから。みんながそうしているから。友だちが言っているから。親が言っているから。パートナーが言っているから。周囲の空気を読んで何となく。

 そんな選択肢を積み上げた人生は誰のものだろう。ぼくはそんな人生に納得できるのかな。


自分のやりたいことは本当にないんだろうか。選びたいことはないんだろうか。

決定権を自分以外の何かに託してしまったら、きっと最後に後悔する。死ぬかもしれないと分かったときに、きっとやりたかったことが頭をよぎる。ごまかしていた自分が目を覚まして、きっと鬼のようなクレームが飛んでくる。でもその時にはもう遅い。

誰かに笑われるより、きっとそっちの方が怖い。怖くて悲しい。

 

いつか死ぬ時のことを考えたら、怖くても自分の意志で選びたいとようやく思えるようになった。

自分の意志で決めた人生を生きたとき、最後に何を思うんだろう。やっぱり無難に生きておけばよかったかなぁ、と後悔するんだろうか。でも、それも自分で決めたことなら納得できる気もする。自分がやりたいことやった結果がそれなら、まあしゃないかって思える気がする。
その時に、どう思うかはまだ分からないけど、何を思うか少しだけ楽しみだ。少なくとも、誰のだか分からないような人生を生きることに比べたらわくわくする。答え合わせは明日かもしれないし、60年後かもしれない。
つくづく死ぬことを考えるのは、生きることを考えることだなって思う。

 

でも、何を選んでもきっと大丈夫。政治家じゃないぼくは、給料が少ない代わりに日本国民の未来を背負う訳じゃない。せいぜい自分の人生を背負うだけだ。何を選んでも最後は自分に返ってくるだけだから、そんなにビビらなくても大丈夫。

 

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少し前に、横浜駅の駅ビルに行ってきた。永遠に開発が終わらなかった横浜駅、通称日本のサグラダ・ファミリア、が完成したと聞いたからだ。

人が多くて早々に退散したけど、人が落ち着いたらまた行ってみたい。